コラム
犯罪捜査と地震計と太陽風観測に時刻同期が必要な理由

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ゴールとスタートの順序が逆に

小学校の運動会に望遠と広角のカメラ2台持ちで臨んだことがあります。気合いを入れて撮影し、たくさん撮れたと満足しつつ、パソコンの管理アプリに写真を取り込んだら、ゴールシーンの後でスタートを切っていたりと前後関係がぐちゃぐちゃで、並べ直すのに苦労した、という思い出があります。
理由はご推察のとおり。デジタル写真では時刻や露出値や機種名などのメタデータが画像とともに記録されます。管理アプリは基本的に撮影時刻順に写真を並べるため、複数台のカメラの内蔵時計が同期していないと、不可避的にこのような面倒が発生します。
「撮影前に時計を合わせる」のワンアクションで避けられる事態ですが、つい忘れてしまって同じミスを繰り返し・・・。子供の運動会なら多少の手間も楽しみのうちかもしれません。しかし「犯罪捜査」となると話が違ってきます。

防犯カメラで追う容疑者の足取り

2021年8月、東京・港区で地下鉄駅の利用客が硫酸をかけられるという傷害事件が発生しました。容疑者の足取りを追うために使われたのが防犯カメラの記録映像。異なる地点の映像をたどり容疑者の足取りを追う「リレー捜査」が威力を見せました。捜査関係者の間では、容疑者の現場までの足取りが前足、逃走ルートは後(あと)足と呼ばれ、事件の初動捜査でもその解明が最優先されました。

――どこから来たかが分かれば、容疑者の自宅が判明する可能性がある。一方、「後足」の捜査は容疑者確保に直結する。捜査員は現場に走り、現場周辺にある防犯カメラ映像の確認を始めた。(”「前足と後足を追え」硫酸事件、防犯カメラで迫った刑事たちの84時間”, 毎日新聞, 2021/10/17, 最上和喜記者)

どの改札口を使い、どういうルートで移動し、何番ホームからどの列車のどの車両に乗ったのか・・・。人混みの中での追跡には、要所要所を捉えたカメラ映像が必要です。刑事ドラマならCM開けに判明しているのかもしれませんが、現実には当日の運行ダイヤ、駅構内の地図、カメラ映像などを見比べながらの、タフな作業であることは想像に難くありません。
そしてこの捜査手法において死活的に重要なのが、防犯カメラの時刻情報の正確さです。
A改札からB番線までの移動時間はどれほどか。Cターミナルで乗り換えたなら、どの路線を選んだのか。もちろんカメラには死角もあるでしょう。姿を見失ったなら、次に発見できそうな場所を推測し、ひとつひとつ可能性を潰していく地道な作業が必要です。こうした推理をする際、カメラの時刻が一致していなければ、探索範囲は止めどもなく拡大してしまいます。逆にいえば、時刻同期された防犯カメラのネットワークは、容疑者を追うための大きな一つの網と表現することもできます。

時刻同期による、大きな一つの観測網

この種の観測網でまっさきに思い浮かぶのは、地震観測のネットワークです。震源の位置や深さが発生直後に判明するのは、各観測点における地震波の到達時刻が正確に取得・解析できているから。あらためて原理を説明すると、「P波とS波の到達時間差により、観測点から震源までの距離を推測」「観測点を中心に、推測した距離を半径とした円を描く」「これを複数の観測点で行い、円弧の交点として震源の位置や深さを求める」というものです。時刻同期された地震計のネットワークは、地震という地下の現象を捉えるための巨大な一つの観測システムとして機能していることになります。

さらに宇宙空間に狙いを定めた観測ネットワークでも、時刻同期は重要すぎるほど重要です。名古屋大学宇宙地球環境研究所では、ユニークな手法で「太陽風」の観測を行っています。その原理と技術的背景についてざっくり説明すると、以下のようになります。

  1. 大気のゆらぎが星のまたたきをもたらしますが、電波で視る天体(電波源)は、大気の影響ではそれほどまたたきません。
  2. 遠く離れた複数の場所(A、B、Cの3地点)から、ある特定の天体に狙いを定め観測します。
  3. ときにほぼ同時刻にすべての地点で同じパターンの電波のまたたきが観測されることがあります。
  4. その理由は天体そのものの電波強度の変化か、あるいは電波が通過してきた宇宙空間における、局所的なプラズマ密度の変動が理由であり、多くの場合それは後者、すなわち「太陽風」です。
  5. 天球面上のたくさんの天体を観測することで、太陽風が宇宙空間をどのように伝播しているかを描き出すことができます。

名古屋大学ISEE(宇宙地球環境研究所)の太陽圏研究部では、豊川、富士、木曽に置かれた3つの電波望遠鏡を使い、上記のような観測を行っています。同研究部の岩井一正准教授はこう説明してくれました。
「観測点の上空を太陽風が通過すると電波のまたたきが起こります。同じパターンがわずかな時間差で観測される場合、遅いほうの観測点が下流にあたり、時間差は太陽風が観測点間(約100km)を移動する時間に相当します。秒速数100kmと猛烈な太陽風の速度を精度良く決定するには、観測点間の時刻の同期精度が大変重要になります」

木曽(長野:左上)、豊川(愛知:左下)、富士(山梨:右)に設置された、シリンドリカルパラボラタイプの電波望遠鏡。ツノのような4本のフレームの間に、地面と並行に張り渡した1000本のステンレス線で東西100m・南北20mのパラボラ反射面を形成、327MHz帯に狙いを定める。(写真提供:名古屋大学ISEE(宇宙地球環境研究所))

GNSSへの脅威となる太陽風にGNSSで立ち向かう

以前のコラムで、このようなことを書きました。

――水底に暮らす生き物は、底まで届く光のゆらめきから「今日は静かだな」「今日は波がたっているな」と水面の様子を知ることができます。我々も宇宙から届く電波を見ることで、電離圏に立つ波を可視化することができるようになっています(コラム『ザ・デイ・アフター・スーパーフレア~電力、無線通信インフラへの影響~』)

高度に時刻同期された電波望遠鏡の観測ネットワークは、すでにそれ以上のことができるようになっています。宇宙空間から嵐の襲来はあるのか、あるとすればそれはいつなのかをいち早くつかむ観測です。遠隔地を結ぶ時刻同期は多くをGNSSに頼りますが、ある確率で発生する強大な太陽風――スーパーフレアによる太陽嵐――は、そのGNSSを使った測位や時刻同期を揺るがし、現代社会に大きな脅威を与えます。そうした太陽風の観測をも、GNSSによる時刻同期の技術が支えるという興味深い構図がここにはありました。

記事のライター

喜多 充成氏

喜多 充成   科学技術ライター

1964年石川県生まれ。産業技術や先端技術・宇宙開発についての取材経験をもとに、子供からシニアまでを対象に難解なテーマを面白く解きほぐして伝えることに情熱を燃やす。宇宙航空研究開発機構機関誌「JAXA's」編集委員(2009-2014)。著書・共著書に『あなたにもミエル化? ~世間のなりたちを工学の視点から~』(幻冬舎mc)、『私たちの「はやぶさ」その時管制室で、彼らは何を思い、どう動いたか』(毎日新聞社)、『東京大学第二工学部70周年記念誌 工学の曙を支えた技術者達』(東京大学生産技術研究所)ほか。

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