コラム
時刻同期用GNSS受信機「TB-1」の災難と、落雷で判明したその”実力”

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国連の世界気象機関(WMO)によれば、2023年は観測史上最も気温の高い年でした。地球温暖化は単なる気温上昇だけではなく、台風や干ばつや山火事など気象災害を増やします。中緯度に位置する日本でいえば、雷雨をともなう集中豪雨、いわゆるゲリラ豪雨の頻度や被害も増す傾向にあります。
兵庫県西宮市にいくつかあるFURUNOの事業所のひとつも、2023年夏にゲリラ豪雨と雷の直撃を受けました。設備に被害は出たものの、同時に非常に貴重なデータの取得もできました。偶然の出来事とその意義を、当事者の証言とともにご紹介します。

イメージ写真・撮影筆者

「雷光も見え、悪い予感がした」

2023年8月26日、土曜日の夕刻。古野電気の藤谷正和は、所用を終えた姫路から東に向けクルマを走らせていました。加古川付近に差し掛かったところで、前方の上空にただならぬ積乱雲を目にします。
「見たことのないような分厚い暗い雲で驚きました。雷光も見え、少し悪い予感がしました」
システム機器事業部の藤谷は主幹技師としてGNSS機器の開発に関わっており、彼のオフィスがあるフルノINTセンター(西宮市西宮浜)は、電波暗室なども備えた研究開発拠点です。6階建ての建屋屋上にはレーダーやGNSSアンテナなどが林立し、雷の直撃が懸念されました。
神戸地方気象台はこの日、神戸市に大雨洪水警報、西宮市に大雨警報を発令しており、一帯では1000回以上の落雷も記録されていました。
「悪い予感はしたものの、日曜に出勤しても手の打ちようがありません。月曜に出社して真っ先に 4階の環境試験室に飛び込みました。案の定、トラブルが起きている機器がありました」(藤谷主幹技師、以下同)
確認してみると屋上設置のGNSSアンテナ7基のうち4基が故障し、測位信号が届いていないことが判明します。なかでも長期にわたって試験を行っている、時刻同期用GNSS受信機に、機能を停止しているものがありました。約50mの同軸ケーブルと分配器を介して接続されている機器の一つです。
「もちろん建物に避雷針は複数設置されていますし、入社以来20年、ここまでひどい落雷による障害は経験していませんでした。結果的に備えが甘かったということになりますが、個別の機器配線まで誘導雷サージ(異常電流)の対策は行っていませんでした」(藤谷)

幸運にも助けられ、貴重なデータを取得

ただ、幸運もありました。故障した機器と同じアンテナ線から分岐したもう一系統の時刻同期用GNSS受信機「TB-1」は、アンテナからの信号が途絶えて以降も時を刻み続けていたのです。そしてさらに幸運なことに、「TB-1」の評価のための超高安定のセシウム原子時計も無事で、その比較データも途切れることなく記録されていました。

8月26日18時すぎの信号断が、上側グラフ(使用衛星数)より見て取れる。信号断から約24時間、基準とするセシウム原子時計との差が5μs以内で推移

もともと放送局や携帯基地局などの基準発振器として使われるTB-1には、突発的なジャミングやアンテナ故障などの信号断でも時刻精度を維持できるよう「ホールドオーバ」という機能が備わっています。「GNSS測位の中断時にも内蔵の水晶発振器のふるまいを予測して補正し、安定したタイミング信号を一定時間出力」する機能で、「信号断から24時間で50μs以内(対UTC)」を保証しています。通信や放送のインフラを支える時計は、たとえ「1.21ジゴワットの雷撃」(映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』より)を受けても止まってはならないからです。
INTセンターの試験システムは、落雷によるアンテナ故障で測位信号の遮断は起きたものの、原子時計にまで被害は及ばなかったことが僥倖でした。したがってホンモノの落雷に際してのTB-1のホールドオーバがどのように性能を発揮できるか、つぶさに記録することができました。はからずも訓練や実験ではない、リアルの実力値を記録する貴重な機会となったわけです。

「スペックの10倍」を記録してしまった

「TB-1のホールドオーバ性能は、スペックでは“24時間・50μs以内”とうたっています。が今回は“24時間・5μs以内”と10倍の性能を出しました。データを確認するまでは『アンテナ故障直前にあったかもしれない異常値に引きずられ、ホールドオーバのグラフはもっと荒れたものになっているかも』と予想していましたが、思いのほかキレイで精度も良かったのが驚きでした。ただ、機器が置かれている試験室はほぼ恒温環境であり、2年程度のエージングを経て安定した状態の機器が出したデータです。自動車メーカーでいう『テストコースでの最高性能』と考えてもらったほうがいいとは思います」(藤谷)
デジタル放送の進展やモバイルネットワークの高速大容量化で、時刻同期に対する要求も厳しさを増しています。「アンテナだけが壊れた」「計測システムは無事だった」という幸運も重なってのことでしたが、落雷を経ても安定して時を刻み続けた実データの重みは純金にも匹敵します。
藤谷は「セシウム原子時計まで逝っていたらと思うと寒気がします。あらためてSPD(避雷器)の重要性を痛感しましたよ」と苦笑いしながら語ってくれました。

「今だから笑顔で話せる」と藤谷。背後にはアンテナがずらり。

海外営業担当課長の住田知史(右)。データを目の当たりにし「より多くの方に、ぜひこれを知ってもらいたい」と興奮気味。

記事のライター

喜多 充成氏

喜多 充成   科学技術ライター

1964年石川県生まれ。産業技術や先端技術・宇宙開発についての取材経験をもとに、子供からシニアまでを対象に難解なテーマを面白く解きほぐして伝えることに情熱を燃やす。宇宙航空研究開発機構機関誌「JAXA's」編集委員(2009-2014)。著書・共著書に『あなたにもミエル化? ~世間のなりたちを工学の視点から~』(幻冬舎mc)、『私たちの「はやぶさ」その時管制室で、彼らは何を思い、どう動いたか』(毎日新聞社)、『東京大学第二工学部70周年記念誌 工学の曙を支えた技術者達』(東京大学生産技術研究所)ほか。

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