コラム
大都会・大阪に開設した“マルチパス道場”で「TB-1」「GT-100」らが修行中

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ビル街に差し込む夕陽を浴びて

早朝や夕方のビル街で、思わぬ方向から光に照らされてアレッ?と思ったことはないでしょうか。多くの場合それは、ピカピカの外壁に反射して路地裏まで差し込んできた夕日や朝日だったりします。

GNSS衛星からの測位信号も光と同じようにビル壁で反射します。衛星からアンテナまでまっすぐ直接届いた電波と、反射により異なる経路で届いた電波が混ざりあうと、測位信号を”濁らせて”しまいます。あるいは、ビルにさえぎられ届かないはずの電波が反射によりあらぬ方向から届くことで、“虚像”が見えたりもします。当然ながらこれらは測位や時刻同期の精確さを劣化させる要因となります。

大都会ならではの困難に直面

ビル街ではさらに困った事態が起こります。大都会では多くの人が活動し、通信需要も旺盛で、携帯電話ネットワークが4Gから5Gへ6Gと進むにつれ、より高い周波数が使われるようになっています。高速通信にメリットのある高い周波数の電波は、遠くまで届きにくいというデメリットがあるため、携帯電話事業者は高密度な基地局配置でこのデメリットを補おうとします。そうした事情から、大都会のビル街での基地局の新設は増える傾向にあります。
このときに生じる問題の一つが「確かな時刻をどう入手するか」です。

前提として、電波を発射する設備は、定められた一定の範囲に周波数を維持するため、正確な発振器を必要とします。多くの携帯基地局ではGNSSをソースとした発振器を使い、周波数や発射タイミングの正確さを保っています。

“精確”な時刻が、なぜ必要なのか

少し詳しく説明しましょう。周波数だけでなく時刻の確かさ、それもミリ秒のはるか下のマイクロ秒オーダーでの正確さが必要とされる理由は、現在主流のTDD(Time Division Duplex)と呼ばれる通信方式にあります。上り下りの通信を、同じ周波数を使いながら時間を区切って行う、いわば「単線の路線で往復列車を走らせる」ような方式です。データの衝突を避けつつ大量輸送を行うには、緻密なダイヤ設定と厳密な運行管理が欠かせず、精確な時刻(あえて精確と標記しています)が、その基盤となるからです。
さらに、他社も含めた周囲のすべての基地局で時計が厳密に揃っている必要があります。時刻がズレている基地局は「キー外れの人がいる合唱隊」と同じで周囲の通信に悪影響を与えてしまうからです。繰り返しになりますが、現代の携帯電話事業者は、以前にも増してハードルの高い、以下のような難題に直面しているわけです。

  1. 大都会は通信需要が多い
  2. 通信需要が多い場所では、正しい時刻情報が必要
  3. そのためには、GNSSの良好な受信環境が必要
  4. しかし大都会はGNSSの受信環境が劣悪
  5. 最初に戻る..

この問題解決への努力は、ユーザーの知らないところで続けられています。

DSSの実力を示す施設として

時刻同期用タイミング装置を提供するFURUNOでは、携帯電話基地局における課題克服のため「ダイナミック・サテライト・セレクション™」(以下、DSS)という技術を時刻同期用GNSS受信機に導入しています。NTTネットワーク基盤技術研究所が開発した統計的手法を用い、受信状態の良い衛星を選択するアルゴリズムがその核心です。技術的なストロングポイントの解説は別の機会に譲りますが、新たな技術に名前をつけて世に送り出すFURUNOとしては、世の中に対しその技術が有用なものであることを示す必要があります。別の言い方をすれば「実力を見せつけ」なければならないわけです。

大阪・中之島の高層ビル群に面した「マルチパスラボ」

そのための舞台が、大阪のビジネス街に設けられた施設「マルチパスラボ」です。マルチパスとは電波がランダムに反射してアンテナに届く現象のことで、ここでは劣悪なGNSS受信環境そのものを意味します。雨が当たらず、直射日光もほとんど差し込まず、景色としてはビルと空しか見えないベランダに、2周波GNSSアンテナを設置。アンテナケーブルはエアコンダクトの通気孔を通して室内に引き込み、検証用のシステムに接続しています。オープンスカイ(遮蔽物のない状態)とは対極の、大都会の劣悪なGNSS信号をここではいつでも得ることができます。自動車メーカーでいうテストコース、それもとりわけ悪路のコースという位置付けです。過酷な修行の場となる“マルチパス道場”と言っていいかもしれません。

大阪・中之島の高層ビル群に面した「マルチパスラボ」
写真のアンテナは時刻同期用マルチGNSSアンテナ「AU-500」

掘り出すのが難しすぎる物件探し

地価の高い大都会の真ん中に都合よく自社社屋があるはずもなく、条件を満たす特殊な賃貸物件探しが始まりました。「受信条件が悪い」という条件を踏まえると、望ましいのは「高層ビルの狭間の低層の建物」だったりします。バブル時代を経験した世代ならお分かりでしょうが、いわゆる「地上げ屋」が狙いを定めそうな物件です。「ちょうど良さそうな物件に入っている飲食店に何度か通って顔を覚えてもらい、そろそろと思い『オーナーさんを紹介してほしい』と切り出したら、塩を撒かれる勢いで追い出されたこともありました」(システム機器事業部 第1営業部営業課 海外営業担当課長・住田知史)
賃貸オーナーや不動産エージェントと話ができるようになったとしても、ベランダに特殊なアンテナを設置し、室内に多種多様な電子機器が置かれることになる物件の用途を、正直に説明して理解してもらうのは相当にハードルの高いチャレンジです。

検証用のシステム ※一部画像処理を施しています。

連続試験中の「GT-100」評価キット(左)と、検証のため持ち込まれた「TB-1」(右)

「さいわい、知人のツテをたどる形で物件が見つかり、2023年7月の開設にこぎつけることができました。海外の学会やセミナーでもラボ開設を発表し、関心を集めましたし、マルチパスにさらされる実環境での連続稼働テスト施設としては、世界的に見ても貴重なサイトだと言えると思います」(住田)

現在マルチパスラボでは、DSSを使った場合と使わない場合の比較・検証や、他社同等品との比較などが継続的に行われています。ラボにはまだ原子時計は持ち込まれていませんが、受信機の測位演算で得られる座標値のゆらぎから、時刻の精確さを推定するという手法で評価を行っています。ここで得られる生データは、車両開発における悪路走行のテストデータと同様、開発・改良に向けたたいへん重みのあるデータとなっています。修行を積んだ猛者たちの、一騎当千の活躍に期待がかかります。

海外営業担当課長・住田知史(左)と、ともに物件探しに奔走した企画マーケティング課・中井太紀(右)

大阪のビジネス街・中之島の高層ビル群を臨むビルの一室にラボを設置

記事のライター

喜多 充成氏

喜多 充成   科学技術ライター

1964年石川県生まれ。産業技術や先端技術・宇宙開発についての取材経験をもとに、子供からシニアまでを対象に難解なテーマを面白く解きほぐして伝えることに情熱を燃やす。宇宙航空研究開発機構機関誌「JAXA's」編集委員(2009-2014)。著書・共著書に『あなたにもミエル化? ~世間のなりたちを工学の視点から~』(幻冬舎mc)、『私たちの「はやぶさ」その時管制室で、彼らは何を思い、どう動いたか』(毎日新聞社)、『東京大学第二工学部70周年記念誌 工学の曙を支えた技術者達』(東京大学生産技術研究所)ほか。

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